コラム『百姓のまなざし』

農の世界にとりつかれて

田んぼが恋しくなってきた
 
お米作りの仕事の中で私が一番好きな仕事は草取りです
 
あんなに辛い仕事なのになんで草取りが恋しくなるのだろうか?
 
時を忘れ、我を忘れ、悩みを忘れ、経済を忘れ、とたんに自分が稲になったような錯覚をおこす
 
我にかえると、とてつもなく大きな天地に抱かれている自分がいる
 
あの農を内から見たまなざしに私の心は奪われてしまったのだろう
 
だから、田んぼ仕事から草取りを排除しようとは思わない
 
草取りは経営面では厄介だろうと言われる
 
しかし、経済価値を生み出さないものを作らないと良いお米はできないんだよ
 
資本主義の原理や価値観では農の世界には入り込めない
 
資本主義は農の経済成長を成し得なかったように
 
農の前に資本主義は無力だったということでしょう
 
百姓にとっては天地自然が法律なんです
 
その天地自然の法律を観察して、手入れをしていく仕事
 
地球がこの大地の法則を使って、生命を継続させることができるようにきちんと用意してくれているのに
 
経済価値を基準にしていたらうまくいきません
 
事実、日本の農業はうまくいってませんね
 
そして、世間では自給率どうのこうのいう
 
百姓は自給率を上げるための道具ではない
国家と従属関係を結んだ覚えなどない
 
農の世界を内から見ずに外側から見た景色で作った政策など無いに等しい
 
農を国の本とすれば自然と百姓は増えるだろうが
 
しかし、そんなの待ってられない
 
私は自分で農の世界を生きる百姓を増やそうと思っている
 
先人たちも、農の内なる世界を表現し、大きなものに抗おうとした
 
しかし、対立すると巻き込まれる
 
だから静かな農魂を燃やし、その波動を広めたい
 
目の前の状況は火の海だが、農を内側からみた世界にとりつかれて、その世界から出れなくなってしまったのだ