コラム『百姓のまなざし』

山と畑を愛して

夏場のカンカン照りの薬草畑の草刈り
 
草刈り機で草を刈っていると日差しと暑さが襲いかかってくる
 
そして、ダラダラと流れてくる汗
 
ぶっ倒れそうになる
 
身体が「休め」木々が「休め」虫が「休め」山が「休め」と言っているように聞こえてくる
 
誰かに草を刈れと命令されたわけでもなく
 
2時間草刈りしたら休憩と決められているわけでもない
 
自らこの田畑の手入れをしている
 
なぜ、ぶっ倒れる直前まで草刈り機を振り回しているのだろうか
 
「あぁ、そうか。全部なくなるんだ。」
 
思考能力も体力も
 
かろうじて生命を維持しようと水を求めて歩く
 
水にたどり着いたとき
 
生を感じた。
 
「俺は生きている」
 
そして、振り返ると目の前に山と畑があった
 
この畑の薬草は今はまだほとんどお金にならない
 
熱心にやっていると皆に聞かれる。
「儲かるのか?」と
 
農と相容れない資本主義思考がじわりじわりと近寄ってくる
 
儲からない農は否定される
なぜ資本主義そのものを否定しないのか
 
農は農の価値観で評価するという基本的なことを忘れている
 
1反歩あたりの田んぼのお金にならない価値は22万円になるらしい(20年前の現福岡県糸島市)
 
もしそれが還元されたら、農に余裕が生まれ、遊びが生まれ、地域が豊かになり様々な文化が再び花開くだろう
 
農業の合理性が高まり農家は自然に増え、本当に強い国家という道を歩みだす
 
百姓はまたその世界へ戻れる希望を失わずに
 
農の世界と資本主義思考の狭間で今必死に戦ってるんだ
 
でもしかし、農は資本主義を全て否定しているわけではない
 
農は自然の理を引き受けてきた大きな世界なのだ
 
だから、資本主義のような世界でもそれをどう活かすのかと受け入れている
 
田畑の見回りがコストと考えられ
 
赤子の顔を朝みたら、昼と夜は見ないでいいのだろうかと嘆き
 
現実に我が子の顔を見ることがいずれコストになる世の中がやってくるのかもしれないと絶望する
 
山と畑を愛する心が
 
日本の未来を決めるのだ